Trans-Science:トランス・サイエンス
(ワインバーグ自伝より)

Weinberg2003


2014/8/4・吉岡律夫


ワインバーグ博士は、熔融塩炉などの液体燃料炉の発明者であり、70年前に軽水炉を発明しながらも、自身の教科書[Ref.1]で福島のような過酷事故を予測した天才でした。
しかし、彼の科学に関する最も偉大な貢献は、トランス・サイエンス概念の発明・発見でしょう。彼の自伝「The First Nuclear Era」にあるように、ORNL所長時代の最後の1972年に「科学とトランス・サイエンス」という10頁ほどの論文を発表しています[Ref.2]。

日本ではこの言葉は余り知られていないようですが、最近では、雑誌「世界」2014年6月号に、地震学者・石橋克彦氏が「地震の規模や確率の予測は、現代科学では答えることが(まだ)出来ない問題、つまりトランス・サイエンス問題である」と書いています。

一方、全世界を対象にインターネットで「Trans-science」と検索すると数億件の記事があります。例えば、米国の安全工学の権威ナンシー・レブソン教授の著書「セーフウェア:安全・安心なシステムとソフトウェアを目指して」の中で、2頁を割いて彼の主張を紹介しています。

人類初の月面着陸を成功させた科学万能と思われた時代に、科学を超えるものがあるという主張は、天才科学者ワインバーグならではと思わざるを得ません。自伝は、上記論文の抄訳なので、論旨が不十分かも知れませんが、以下に自伝の該当箇所の翻訳を載せておきます。そのうち、原論文も翻訳したいですね。

1960年代、リバモア国立研究所のジョン・ゴフマンやアーサー・タンプリンといった人々から、原子力は強い批判を浴びていました。低レベルの放射能が、原子力分野にいる私達が認めていたのよりも遥かに危険なものだという批判です。科学的に問題になっていたのは、放射線の閾値の存在でした。もし、閾値というものがあるなら、放射線レベルが閾値以下であれば無害で、閾値を超えれば有害です。高レベルの放射線にさらされれば、当然、死に至ります。

人間の場合、400レムの放射線を浴びると、約半数が死亡するでしょう(訳注:100レム=1シーベルト)。より低い線量でも、放射線はやはり有害です。特に、癌になるリスクは、被曝線量に概ね比例します。自然界での被曝線量(年に約100ミリレム)と大差ないような非常に少ない線量にも、被曝線量と生物学的リスクの比例関係はあるのでしょうか?そこまで線量が少なければ影響はとても小さく、従って、「そのような低レベルの放射線も悪い影響を与えるのか?」という問題は、科学的な問題ではないと考えられます。科学では答えられないからです。

そこで科学の代わりに、私はトランス・サイエンスという言葉を提案しました。正確に言えば、トランス・サイエンス問題とは、科学的に考えることのできるが、科学では答えられない類の問題と同じ形の(同じ構造の)問題だと定義したのです。そうすると、こういうことになります。「400レムの放射能が多数の人に与える影響はどれ位か?」という問題には、科学で答えることができます(半数の人が死に至るでしょう)。一方、同じ形の問題である「400マイクロレムの影響はどのようなものか?」は、仮に影響があったとしても測定できないほど僅かなため、科学では答えることができません。

社会と技術が接する領域で増えている論争の多くは、科学では全く答えられない、つまり科学的というよりトランス・サイエンス的なものだと私は気がつきました。例えば、環境中の低レベルの化学物質に対して私たちが抱く恐怖は、有毒な化学物質の原子はたとえ1個でも有害である、という憶測のせいです。この憶測が形になったのが、どんなに僅かでも発癌物質が含まれていれば、その加工食品を禁止するという、悪名高い純正食品法のデレーニー修正条項です。

話を戻しますが、エド・シルス(訳注:社会学者でミネルバ誌の創設者)は、私の見解に賛成で、ミネルバ誌の1972年4月号に私の論文「科学とトランス・サイエンス」を掲載しました[1]。この論文が初出で、トランス・サイエンスという言葉は専門用語として通用するようになっていきました。私はその後1992年に「原子核反応:科学とトランス・サイエンス」という題の論文集を出版しました[Ref.3]。

哲学的な概念の本質をとらえたトランス・サイエンスという言葉の誕生は、私の見解にとって大事なことで、その生みの親であることを私は誇りにしてきました。しかし、問題をトランス・サイエンスとして考えることは、許容できる放射線レベル、残留農薬量や石綿量を決める規制当局にとって、実際には殆ど助けになりません。規制基準を決める際の常識的な方法としては、規制されるべき潜在危険と、日常生活における他の潜在危険とを比較することでした。アメリカでは年間に約10万人が様々な事故で亡くなっています。.原子炉は許容されるべきではないのでしょうか?致命的な事故が起こる確率は10万年に一度以下で、同じように電力を生産する水力発電ダムのリスクよりずっと小さいのに?

原子炉事故に対しては、事故確率を推定できます。科学的な、少なくとも科学的な要素を含んだ問題だからです。しかし、非常に低レベルの放射線量を無視することは、トランス・サイエンスの問題で、科学を超えたものです。自伝の第10章で述べたように、そうした場合、ホービー・アドラーと私は、その被曝を(計算できないリスクではないとしても)、自然界での被曝線量と比較すべきと述べてきました。被曝線量の基準は、アメリカでの自然界での被曝線量の標準偏差値である年間20ミリレムという値以下に設定すべきです。こうした僅かな被曝の影響は全く検出できませんし、無視すべきと私達は考えています。実際、私達がそう提案した数年後、原子力委員会は原子炉外での一般市民の被曝許容量を、年に約5ミリレムに引き下げました。

トランス・サイエンスの哲学的な概念と、規制基準を決めるに当たっての実際問題との関連について、私は1985年に論文「科学とその限界:規制当局のジレンマ」を書き、その中で次のように主張しました[Ref.4]。リスクについて議論している全ての人が、そうした問題が科学の判断力を超えるものだと進んで認めるならば、規制当局の仕事は、単純化されないにしても、明確になるでしょう、と。


[Ref.1] Alvin M. Weinberg他「Physical Theory of Neutron Chain Reactors」1958年出版の中の一文:「軽水炉で冷却が出来ないと、燃料が破損し、プラント全体が放射能汚染され、修復は極めて困難になる]

[Ref.2] Alvin M. Weinberg, “Science and Trans-science”, Minerva, Vol.10, 1972(原論文,ここをクリック)

[Ref/3] Alvin M. Weinberg, “Nuclear Reactions: Science and Trans-Science”, Amer Inst of Physics; 1992

[Ref.4]
Alvin M. Weinberg, “The Regulator’s Dilemma”, Science and Technology, Vol.2, 1985(ここをクリックすれば、当該号の全記事PDFを無料でダウンロードできるボタンがあります。1番目の論文です)


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